無名ブログ

その辺にいる名も無き一日本人の雑記

憲法改正の必要性 国民が合憲だと思えば改憲は必要ない?

 憲法改正について、安倍総理は西暦2020年・皇紀2680年の施行を予定しているとのこと。日本を取り巻く状況が加速度的に悪化している状態では悠長なことを言っている場合ではないのだが、動きは鈍いようだ。

 

 そもそも、憲法、というか、憲法と称するあの駄文については、さっさとゴミ箱へでも投げ込んで、淡々と新憲法を作ればいいだけの話だが、とりあえず改正の手続を経るとして、その必要性はないと主張する反対派が挙げる理由が、あまりにあまり。

 

 憲法で一番の問題は、自衛隊こと軍と9条の関係だろう。

 

 この点、改正反対派が9条の改正の必要がないという理由について、「多くの国民が合憲だと思っている」ということを挙げている。

 

 マスコミ、政治家、憲法学者等々。

 

 特に、常日頃、「立憲主義」を掲げているお歴々が、自衛隊と9条の問題では、平気で憲法を否定する主張をしているあたり、立憲主義者がそれでいいのかと言うべきか、それとも、立憲主義者はそういうものだと言うべきか。

 

 9条の条文を素直に見れば、自衛隊という軍隊は、憲法の規定に反するという意味では違憲と言うしかない。

 

 これは、当然、自衛隊こと軍が必要ないと主張したいのではない。

 

 むしろ必要不可欠だ。

 

 そして、多くの国民も必要だと思っている。「合憲だと思っている」というのは、そういう趣旨だ。

 

 だが、その必要なはずの自衛隊を、憲法の条文はどうみても否定している。自衛隊の必要性を認めている国民も、実際に9条の条文を素直に読めば、自衛隊の存在と矛盾すると感じるだろう。

 

 だから、憲法改正が必要なのだ。ただそれだけのことだ。

 

 ところが、反対派は、憲法の規定に反していても、国民が必要だと思えば合憲だという。

 

 これは、制度が憲法に反するかどうかは、憲法の規定ではなくて国民が必要と思うかどうかで決まると言うことだ。

 

 憲法など、あってないようなものということ。

 

 立憲主義といいながら、随分と憲法に冷たいではないか。

 

 

 そういえば、核や空母がらみで、これらの保有憲法に反するというのが、立憲主義者の主張だ。

 

 ならば、日本を守るためには、核や空母の保有が必要だと多くの国民が思えば、これらの保有憲法に反しないということでよいか。

 

 国民の多くが必要だと認めたら、立憲主義者は、その保有を認めるのか。

 

 認めないだろう。その理由として、臆面もなく憲法違反を叫ぶだろう。

 

 要は、できれば自衛隊を廃止したい。かつてはソ連、今は中国の侵略を容易にするため。

  しかし、国民の多くが必要と思っている状態では、自衛隊違憲だから廃止と叫ぶわけにはいかない。 

 仕方ないので、自衛隊の存在は合憲と認めて、ただ手足を縛って、その動きを出来る限り鈍らせたい。

 そのためには、9条は、核や空母も含めて、安全保障体制の構築のたびに持ち出して妨害できるよう温存したい。

 実際、安保法制の馬鹿騒ぎのときに持ち出していたのが、9条だった。自衛隊が存在しても、動けない、同盟国と連携できないとなれば、その存在意義は半減する。中国や北朝鮮(あるいは韓国も加わる)に十分有利になる。

  

 そのためには、憲法の文言上、どうみても矛盾する自衛隊については、合憲ということにしておく。

 

 自分達の都合が悪いときは憲法規定など無視する。

 

 これが立憲主義者()だ。