無名ブログ

その辺にいる名も無き一日本人の雑記

ドラクエは音を消してプレイ|精神科医香山リカ氏

 ネットでもちょっとした話題になっているが、精神科医香山リカ氏は、ドラクエを音を消してプレイしているとのこと。

 プレイスタイルは人それぞれであり、他人が口を挟むことではないが、その理由を聞いて、ふと思い出したことがあった。

 

 香山氏がドラクエを音を消してプレイするようになった理由が、作曲がすぎやまこういち氏であるからだという。

 

 香山氏は週刊誌のインタビューでこのように話している。

 

ドラクエ好きでずっとやってるのに、すぎやまこういちが嫌いだから音を消してやるようになった」

 

 シリーズは8までプレイして止まってしまっているが、私もドラクエは大好きだし、BGMも大好きだ。

 シリーズで一番好きなのは、ドラクエ3だ。

 ストーリーは無論、音楽についても、ほこらの音楽が雰囲気と相まって凄く好きだし、幽霊船の音楽と雰囲気の組み合わせもいい。

 私の好みはともかく、すぎやま氏の音楽はドラクエの魅力の一部だと思うし、音を消してしまっては、自分としては魅力、面白さが半減してしまうのではないかと思う。

 

 もっとも、プレイスタイルは人それぞれ、音を出してプレイしろなどというつもりはない。

 

 ただ、すぎやま氏が嫌いな理由について、「ウルトラ保守」だからとのこと。

 

 すぎやま氏は、ご存知の方も多いだろうが、慰安婦問題について反論する広告をアメリカの新聞に掲載したり、NHKの偏向報道について、「放送法遵守を監視する視聴者の会」の代表者として批判的な言を行うなどしている。

 

 3年ほど前の香山氏の発言。

 

 「ドラクエ大好きだったのに、音楽のすぎやまこういち氏が放送への圧力団体の呼びかけ人になるなどウルトラ保守化してしまい、素直に遊べなくなった…悲しい…」

 

 素直に遊べよ、とツッコミたいのは私だけではないだろう。

 

 実際、シベリア抑留の経験者がチャイコフスキーを聴かないというのと同じと指摘されたり、坂本龍一氏の政治的発言は不快だが、音楽は音楽として聴くという意見がある。

 

 ちょうど、ピエール瀧がコカイン使用の疑いで逮捕されたというニュースがあった。坂本氏は、それで過去作品の回収をすべきでない、ドラッグ使用と音楽とは切り離すべきと主張している。

 私も同意見だ。個人の問題と音楽とは別々に考えるべきだと思う。電気グルーブの作品の回収や放送自粛はすべきでないと思う。

 

 いずれにせよ-何の謂れも無く先人達に着せられた汚名を雪ごうとしたり、歪曲報道を批判したりするのに保守、リベラルは本来関係ないはずだが、とりあえずそれは置いて-このような氏の活動が香山氏にとっては「ウルトラ保守」であり、故に嫌いであり、故にその音楽も聴きたくない。

 

 こういうことらしい。

 

 音楽と作曲者は切り分けて、素直にドラクエを楽しめばいいのにとは思うが、香山氏がそうしたいというのなら、繰り返しになるが他人が口を挟むことではないので、そのプレイスタイルを続けるのがよいだろう。

 

 もっとも、すぎやま氏によれば、ドラクエの生みの親である堀井雄二氏も愛国者であるとのことなので、香山氏のドラクエのプレイスタイルは、ソフトのパッケージを眺めるくらいになってしまうかもしれないが。

 

 

 

 ところで、香山氏の言動は、自分の意に沿わない考え方や言動を持つものは、その作品も否定するというものだ。

 

 今回の香山氏の話題を聞いて思い出したのが、野中広務氏の百田尚樹氏に関する発言だ。

 

 野中氏は百田氏の著作、特攻隊を描いた小説である「永遠の0(ゼロ)」について、小説版を読んで泣き、映画館に足を運んでそこでも涙を流したが、後、百田氏が反戦ではなく強い日本という正反対の方向を向いているとわかって幻滅し、泣いたことを後悔したという趣旨の発言をしている。

 

 俺の涙を返せといったところか。

 

 百田氏の思想云々とは関係なしに、作品は作品として評価して涙すればいいと思うのだが、野中氏もそうはいかないらしい。

 

 インタビューが掲載された週刊誌に紹介されていたように、香山氏は左寄り、あるいはリベラルといわれる立場だ。

 

 野中氏は言うまでもなく、保守政党自民党の議員であり、官房長官まで務めた。

 

 だが、野中氏も、自分の意に沿わない考え方や言動を持つものは、その作品も否定するというものだ。

 

 逆に言えば、作品の評価は、その人の考え方や言動によって決まるということにもなりかねない。

 

 いつだったか、小学1年生が作った平和の詩が持ち上げられたことがあった。

 

 平和を願う小学1年生が作った(という設定の)平和の詩は、ホメロスも裸足で逃げ出す歴史的名作ということになるのだろう(私は詩の良し悪しはまったく分からないが)。

 

 

 左翼・リベラルと保守、一見対立する立場であるように見えて、根本的なところは変わらない。

 

 実際、野中氏のような立ち位置の人は、保守リベラルと称したり、呼ばれたりすることがある。

 

 保守のリベラルってなんじゃそりゃと言った所だが、そういえば、立憲だか国民だか、ともかく民主党リベラル保守とか称していた議員がいた。

 

 要は、左翼・リベラル=反日、保守=売国、リベラル≒保守、反日売国といったところか。

 

 根本的なところは同じ。

 

 だから、言ってる事やってる事、似通ってくるし、いくらでも手を組める。

 

 保守政党、しかも「保守本流」政治家である野中氏が拉致被害者家族の必死の訴えにどういう対応をしたか。左翼政党、社会党(現在の立憲、国民、社民)と酷似している。

 

 この反日主義者と売国奴の共同体制ともいうべきものが戦後体制の本質だ。