無名ブログ

その辺にいる名も無き一日本人の雑記

池袋と大津市の交通事故に対する対応の差異

 2019年4月19日、東京池袋で、87歳の男が運転する車が、31歳の母親と3歳の娘を含む12人を死傷する事件が起きた。

 

 その後の5月8日、更に滋賀県大津市で、衝突事故を起こした自動車がそのまま歩道上の園児らの列に突っ込み、2歳の園児2人が亡くなる事故が起きた。

 

 大津の事件では、運転していた女は即逮捕となった。他方、池袋の男は現在まで逮捕されていない。

 

 この差について、池袋の男は元通産省キャリア官僚にして瑞宝重光章受勲者、大企業クボタ役員、元工業技術院院長等々、華やかな経歴と肩書きを有する「上級国民」だからという主張がある。

 

 この上級国民という表現は俄に出てきた感があるが(こういう痛ましい事件でも、格差アピール、分断煽りに利用できると狂喜するような連中はいる)、逮捕は本来逃亡・罪証隠滅のおそれがある場合に行われる。容疑者が上級かどうかで決まるものではない。

 

 元通産省キャリア官僚、受勲者という高い社会的地位にあるからこそ、それらをかなぐり捨てて逃亡する恐れは小さいともいえる。87歳という年齢で、負傷していることも、逃亡の恐れは低いと判断される要素になったろう。

 

 また、運転していた車がその場で確保されたことも罪証隠滅の恐れは小さいと判断された要素となったと考えられる。

 

 大津の事件の女は、62歳と52歳、無職とのこと。少なくとも池袋の件に比べれば、逃亡の恐れが小さいとはいえないという判断も不合理ではない。

 

 いずれにせよ、池袋の男が逮捕されなかったのは、特段異例の措置とはいえない。

 

 もっとも、それは身柄を拘束しなくても捜査は可能というだけで、彼の行為の責任とは別次元の問題だ。

 

 彼は事件の原因について、当初アクセルが戻らなくなったと主張していたが、警察の調べでは車に異常はなく、アクセルとブレーキの踏み間違いだろうとのこと。

 

 嘘で自分の責任を転嫁しようとしたと言われても仕方があるまい。

 

 このように、加害者が責任逃れや責任転嫁をするような事件についてこそ、マスコミは事実を国民に伝えるべきではないのか。

 

 ましてや、彼は社会的地位の高い、社会的責任の大きい人物なのだから。

 

 だが、マスコミは静かだ。

 

 随分と静かだと思っていたら、滋賀の方で威勢がよかったようだ。

 

 先日、大津市の事件の園児達が通っていた保育園が記者会見を行った。

 

 こちらはマスコミの皆様方ご列席。

 

 散歩出発前はいつもと変わらない様子でしたかって、当たり前だろう。

 

 事故が起きる予感がしていたとか、死相が出ていたとか言えばよかったのか?

 

 マスコミの無神経で趣旨不明の質問の数々には、下品な表現だが、反吐が出そうだった。

 

 そもそも、保育園が記者会見を行わなければならない理由がどこにあるのか。どう見ても、保育園は被害者側だ。その被害者にマイク突きつけてどうするのか。

 

 このようなケースでは、保育園が会見を行わないとマスコミが被害者や家族の方々を追っかけまわしたりするので、やむをえないという意見もある。

 

 別段、やむをえないこともないだろう。

 

 加害者ならまだしも、被害者の方をマイク突きつけて追い掛け回すようなゴミは、簀巻きにして生ゴミ集積場にでも投げ込んでおけばいいだけの話だ。

 

 それでも、100歩譲って、池袋の件できちんと取材をしていたというのなら、大津の件では事実を知ろうとするあまりの行き過ぎくらいの弁護はできるだろう。

 

 だが、前述のように、池袋の件では随分静かで配慮に満ちている。

 

 普段、マスコミは事件が起きると容疑者やその周辺の人々に「突撃取材」を繰り返しているではないか。

 

 今回の池袋の件は、母親と幼い娘の命を瞬時に奪った。

 

 ましてや、運転していた男は、社会的地位の高い人物でありながら、調べればすぐ判明する言い逃れをしていた。

 

 マスコミは大津の件同様、記者会見をやらないのか。

 

 男は、自分のフェイスブックを息子に頼んで削除したという話もある。

 

 フェイスブックの件は真偽不明だ。

 

 だが、そもそもいつものマスコミなら真偽などお構いなしに、「犯人の息子」にマイクを突きつけていなければおかしいではないか。間違いだったら、新聞の片隅に訂正記事でも載せておけばいいだけのこと。

 

 本当に、随分と穏やかで優しい報道姿勢だ。

 

 どうしてだ?

 

 元通産官僚、受勲者、大企業クボタ役員、元工業技術院院長という「上級国民様」が怖いのか。

 

 「忖度」したか。

 

 まあ、どっちでもいいが。

 

 改めてはっきりしたのは、マスコミは相手によって態度を変えること。すなわち報道しない自由をいかんなく発揮していること。

 

 そして、まだまだ、このマスコミが国民への情報提供の役割を担っているという洒落にならない現状だ。